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人生を考えつづけてきた私だけれども、人生と自分が邂逅できた試しがない。
そして、近頃は特に人生と私、の乖離がひどい。日々、重ねて、何だこの人生は? と自問自答しながら起床する日々が続いている。
言葉にすると批判的で落胆もしているように取られるかもしれない。が、私は至って冷静である。冷静に、私という係留されない船が岸から離れてゆくのを、棒立ちになりながら、ずっと岸を、ただじっと見つめているという状態である。
このことは、実はこのところの世情云々とも無関係である。
なぜなら、今がどんな情勢だろうとも、どうやら私の人生との距離は、生まれてこのかた広がる一方だから。もう岸を見つめても人生―多分これはいわゆる「理想の人生」とか「なりたかった自分」のことだろうが定かではない―は霞み、見えなくなりつつある。
それでも、見えなくなっても私は、見つめ続けてしまうのだろう。
きっと私は生まれた瞬間から私の思う人生とは触れ合えたことがない。だから憧れるのがまず間違いである、ということに間違いはない。
さらに、他の人が私を見て、私の持ち物にどんなに素晴らしいものがあったとしても関係ない。
感謝はしている。しかし、私が生きたかった人生と、今生きている何やら不思議な空間は、交わらなさにおいて絶望的で、私はすでにあきらめる以外の気持ちを持てず、それでもやるしかないと、心の中のほんの奥底でだけ、毎日メソメソしている。
とはいえ、叶えられた希望はあるし、世のためのお仕事をさせてもらえる喜びもある。だから決して、絶望はしていない。
どんな場所でも、海に1人船に浮かんでいようとも、難解さが混んでゆくほどに、この説明しても伝わらない物語が、不思議なことに駄作としての自分の人生だとほんの少し歩み寄ってくれる気がするから。
私にとって孤独はやはり福音である。
私は、孤独に浸るときだけ、やっと人生が、姿を見せずに、しかし頭をなでてくれるような感覚を知る。
友達や上司にどこまで行くの? って何度も聞かれたけど、私もずっと私に思っている。
でも私はきっと、戻ってくるつもりがないのだ。誰かと、何かと、約束した気さえするほどに、どんどん遠ざかる。
悲しみではなく……エゴが大我に説得されつつある、みたいな感じ。自然に死ぬまで精いっぱい生きる所存だけど、その先は戻ってこない気がするんだよな。
なんだこの文章は(笑)