この世は地獄だけど気にせずとりあえず生きてこー

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この世は地獄である。なぜなら私がこの世は地獄だと感じているから。

もちろん日本に生まれてめちゃくちゃ恵まれてるなって思う。だし、金銭的にも私は恵まれてると思う。でも、やっぱり地獄だと感じてしまう。

恵まれているからヘラヘラして生きろということじゃないと思うのだ。戦火の中で生きている人間が常にシリアスでなければいけないということも無いだろう。だからこそ私は地獄の下でヘラヘラして生きたいと思っている。

みんなもうすうす、この世は地獄って感じているのではないだろうか。端から見た「恵まれている状況」なんざあてにはならないのだ。地位も名誉も地獄を塗り替えることはできないから有名だろうがお金を持っていようが可愛い奥さんが居ようが自死を選んだりするのだ。って、口に出さないみんなは大人だなぁって思う。


けれど地獄で生きていると思っていると良いことがある。優しくしてくれる人が本当にありがたく思える。だから私も人に優しくできる、のかもしれない。もとから優しいのかもしれないけど! 

( *´艸`)

それでもちょっとしたスキにここが地獄である理由たちが頭を小突いてくる。正直、そんなことしてくるのなら、全部辞めたいなー消えてなくなりたいなーと思う。思うが、地獄に居るからといってサボってしまってはこの場所に居る意味がない。悔しいから私は学びたいし成長したい。どうせ生きちゃってるし。

そんでもって、地獄に居ながら、ヘラヘラして、そこが天国って思えるくらいの勘違いをして生きていくのが今のところの本当の幸せなんじゃないだろうか。

スピリチュアル的な話。肉体があるって大変。私は頭の中がどこまでも自由なので、それらをしばりつける肉体に対して、ぐぬぬこの物質め! とか感じる(どの立場なんだろう私は)。

でも死ぬまでは生きなければいけないわけで。毎日何かはしないといけないわけで。だから私はお勉強をする。物を作る。仕事を………ちょっとはする。

物質世界にどうのこうの言っても、どうしたってここに居るのは私なのだから、その重みを受け入れて生きていかねば進まない。

今でこそ諦めつつある私だが、ここまでだいぶ現実逃避してきた。なにぶん失敗したくないから、そして口だけは達者だから、色々言い訳して動かないことをヨシとしていた。でも物質世界では動かないと意味が無い。ここは自覚なく生まれて、動いて、いつか分からないけれど死ぬという世界なのだから。

しかしあれだ、構造のシンプルさは救いだね。


私は舞台役者をしていて、舞台裏というものと、舞台の上というものをそこそこ体感してきた。そして人生について知識を得る中で、何となく舞台の上は現実世界で、舞台裏は精神世界(=霊界?)のようなものなんじゃないかなと感じるようになった。

ちょっと説明してみる。舞台は、最初の音楽がかかって、暗転して、音楽が高まり、そして暗闇が明けるとそこから物語のスタート、というパターンが多い(最初の音楽は無いこともある)。

舞台袖の暗闇の中で開演を待っている間(長い時は45分)から舞台の最初の立ち位置に立つまでは「引き受けるんじゃなかった」と後悔が滝の様に襲ってくる。怖くて仕方がない。でもやると言ってしまったからには泣きそうになりながらも暗闇の中で立ち位置まで歩いていく。しかし、明かりが付くと私はそこで「舞台裏のことなどさっぱり忘れて」おり「役を全うしている」のである。面白いくらいに。

単純なスイッチのオンオフの話ではなく、私自身の存在が、舞台裏、という楽屋に置いてあるようなさまざまな情報から脳が遮断され、舞台の上で役の人になっている。なりきる、というのとはちょっと違う。もちろん端から見たらなりきっているでいいんだけど、自分としては楽屋を引きずりながら役なんてできない。だって演じてるのは私だけど、その役自体は私ではないから。そしてこれは記憶喪失をしているような体験である。

生まれる前のことと、死んだあとのことが一切分からないっていうのが現実世界。舞台に上がっている時は舞台裏にある「私」のアイディンティティをさっぱり忘れて生きて、袖に引っ込むまで記憶喪失状態が続くってのが舞台。

つまり、人間というものは精神世界から現実世界に出でた時点で色々記憶が無くなっているのではないか、でも本当の自分は知っていて、単純にこの舞台の上を楽しんでいるのではないかなぁということ。だって未来ってなんとなく分かったりするじゃないですか(問題発言)。

未来がなんとなく予知できるの(みんなもちょっとはできているんだよ)は、舞台の上に立っていない本当の自分(現実の出自になっている精神世界の私)が詳しく台本を知っているから。でも、これ演出から役者の駄目出しによくある内容なんだけど、舞台の上の役者は役の未来を知っている演技はしちゃいけない。

役の私はその舞台の上で初めてその言葉を聞いて、初めてその事件に巻き込まれる。少なくとも見ている人にそう見えなくてはいけない。もちろん当たり前だけど何度も稽古してるし台詞も寝る間を惜しんで何なら九九かってくらい覚えてる。覚えてるけど舞台の上では忘れなきゃいけないのだよね。

{しかしながら役者って本当に変なことをやっているのだなと思う。覚えていることを覚えていないふり(ばれるレベルのふりではいかん)をして、初めて体験するかのようにその場で感じてしゃべらなきゃいけないの!

すごいね役者って(てまえみそか!)。

これって人生のしくみにまつわるトリビアになりませんか?}

さらに私は舞台に出る前は吐きそうになるし、終わった後も納得することはないのだけど、懲りずに舞台に出るってことは何かしら自分に必要なことだったり楽しみがあったりするから出るんだろうな。

出生&子供時代には特に納得ができないこともあるよね。生まれたくない場所で生まれたり望まない方法で育てられてしまったりするよね。選べることと選べないことはあるけど、ひどく嫌なことはだいたい選べない、選べなかったことだよね。

その選べないことって、まさに与えられた役みたいなことなんじゃないかしら。

だから自分の微小なエゴで「これは嫌だ」とか「認めない」とか言ってると人生が進んでいかないし、物語が成立しないのだ。

神様(キャスティング)は言う「いいからとりあえずやれって言ってんだよー!」

気が付けば役を与えられて舞台裏の記憶は消され「やれ」と言われるってどんな地獄やねーん! ちょっとはヒントちょうだい! って気にもなるね。休憩時間下さい。一回舞台裏に戻って台本読ませてよ。本当の自分はこの先を知ってるかもしれないけれど、舞台の上の私記憶喪失状態なんでーーーあああ地獄ーーー(それが地獄の理由の全てではないが)


までも、ものは考えようで。目の前のことでアワアワしていることについては「大丈夫死なない」と対応し、永遠にこの苦しみが続くのではないかと言う絶望に対しては「大丈夫いつか死ぬ」と唱えていれば気が付けば死んでいると思います。舞台も、全力でやったら1時間半の舞台でも体感15分くらいで終わるので。

そんなわけで今日も私は「うふふ~♡地獄♡それもまたおかし♡」と生きております。

ここだけの話、いやもう笑い話にして欲しいけど、まぁ、私も20代前半で何回も自殺未遂したし、ああいう、死に向かってしまう時ってあるんだなって思う。頭が麻痺してるのに、まだ頑張らなきゃ、考えなきゃ、幸せにならなきゃ、なのに何でこんなに苦しいのギャーとかそういう狂ったモード、壊れたレコードみたいになってて。自分で止められるものではなかった気もするなぁ…

もちろん死に向かってしまう理由も後になって分かる訳です。そして私の自殺を必死になって止めようとした親が根本原因だったんじゃんっていう…おもしろ地獄構造☆彡

それでも私は自分の地獄(役)を愛しているんだよ。何でかわかんないけど(そうなれるよう、自分で頑張ったからだけど多分)。

自分の納得いかない役を愛する気持ちで生きていると、だいたい全部の不安を映画見てるくらいで終わらせることができるのさ。みんなにもできると思う。まずはテレビを消して、自分の心と頭を動かすところから始めればいい。

確かに地獄と気付いてしまったのなら、今までかまってあげなかった自分のネガティブな部分が騒ぎ出すこともある。でも私はずっとそこに居るし、孤独でもあるし、騒ぎ出すネガティブは愛されなかった子供時代の自分てだけなのよね。

もういい大人なんだから、自分のネガティブくらい自分で受け止めて愛してあげるのさ。いいじゃないか、受け止めたら自分が駄目ってことが分かっても。最初から自分ってそんなに素晴らしいものじゃないよ。けれど、そんな自分が愛しいじゃんね。

最近占いを再開する用意をしていて、改めてあらゆる物事に対峙する自分をいかにフラットにできるか、ってあたりを調整している。自分を見つめている。自分と対話して、今日も私は地獄でニコニコしている。さっきなんか海から伸びる2本の虹見ちゃったもんね! 地獄でも好きな場所に住んでるからそれでおーるおっけー♡ みたいな。

適当に、全力で、時に絶望して楽しく生きて行こうぜー(笑)