何か、素敵なもの

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私の持っている何かは、ある特定の人にとってものすごくいいものらしい。

「それいいね! すごい! 好き!」と、それを持って生まれたおかげで、時々良く分からない好かれ方を気がする。

その代わり「お前のそれが嫌いなんだあああ」というような態度の人もいた。つまり、それのせいで仲良くなれないこともあるということ。

それが何か、という問題は実はどうでもいい。「それ」は人によって見え方や感じ方が違うらしい。

私にはそれが正確には何かということが分からない。自分の顔を一生鏡でしか見れないように、私はそれを外から自分の感覚で確認することはできないから。

しかし、それがあることである程度無条件に好かれるとしたら、私の人生とは一体? 

私の努力や、頑張ってきたこと、積み重ねた経験はそれに勝てないこともある。

「それ」目当てで寄ってくる人は、私の中身を知らない。そして何なら中身は要らないと考えているのかもしれない。

私は、だから時々それに振り回される。素晴らしいものを持って生まれたこと、それはありがたく受け取りたい。恩恵も受けたのも事実だ。でも、それがあるからこその苦悩もあるのだ。

私は私だ。

私は自分を素晴らしいものにしよう、とことさら考えて生きてきたわけではない。それでも、一度感情を見失って、人生を失いかけて、やっぱり自分の思うように生きたいと考えなおし、そしてここまで歩いてきた。

多分、私は笑ったり泣いたりしただろう。それも、沢山。

そんな私の努力を「それ」は簡単に覆いつくす。こんなの呪いとそう変わらないのでは?

かつて私は「それ」を欲しいと言ったのだろうか。

神様が「欲しいと言ったからあげた」のなら、記憶がないからもうしょうがないね。でも、私はそれが欲しかったとは到底思えないのだ。

なぜかは分からない。けれど、目の前に差し出されて「欲しいならあげるよ」と言われたのなら私はそれを要らないと言った気がするから。

 


それでも持ってるんだから仕方ない。ああそうだよ。持っていない人から見たら、持っているんだから文句を言うもんじゃない。そうだろうね。

単純に考えればいい。持っているものを自分に良いように利用して、そんなことしたくないなら持って無いみたいにしていればいい。それだけだ。こんなの誰だってできる振る舞いだ。

そう知りながらも、私は、「それ」について考え続ける。考えても、考えても、答えは出ない。

 

Photo by Juan Crusoe on Unsplash

 

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