しまにっき はじまりはじまり

tree photo at evening

 

2018年11月4日(日)

吉日

 

 

5時45分、スマートフォンのアラームが鳴る。ほのかにまどろんで起きる。カーテンの隙間から外をのぞく。

くもり。

外はまだ暗く、青灰色の空に街灯や遠くの建物の光がにじんでいる。

昨夜完成しなかった荷物が布団の周りに散らばっている。荷造りや引っ越しに慣れきった私には珍しい光景だ。先にフェリーに乗せた車で運ぶべき段ボール1つを乗せ忘れてしまっため、こんな状態になってしまった。

仕方がないので、行く先でこれからしばらく必要にならないであろうトレーナーと、良い状態だったのでもらっておいた祖父のセーター、ハワイ土産の木のパイナップル型のトレーなど、いくつかかさばる洋服と堅いものなどをあとから送ってもらうことにする。

「自分の荷物を全部自分で持って引っ越しをする」が今回のテーマだったのに、とてつもなく残念である(さらに渡島後2週間が経ってから、着物などいくつか持って来ることを完全に忘れていた物たちのことを思い出す羽目になるが)。

それでも、テンピュールの枕をトランク―19歳の時に買った無印の黒いガラガラ(よくかぶるので空港で荷物を受け取る時は細心の注意が必要)―に入れなければ、先ほど諦めた物たちもギリギリ持って行けたはずだ。

けれど私は19歳で渡英した際もトランクにテンピュールの枕を入れていた。私はどうしてもそれを踏襲したかったのだ。

19歳。35歳。

次は何歳でこの鞄に枕を入れて旅立たなければいけなくなるのだろうか。なんてことを考えていると、電車は成田空港第2ターミナルに到着していた。

 


 

成田から石垣への直通のLCCが就航したのは2018年7月。

それまでは東京から石垣へ行くには

  • ANAかJALを使って羽田から直通で行く(繁忙期はもちろんとても高い)
  • 東京から那覇へ行き、そこから石垣行きへ乗り換える(LCCだけで行く①)
  • 東京から大阪へ行き、そこから石垣行きへ乗り換える(LCCだけで行く②)

(東京→成田or羽田どちらでも可能だったはず。2017年夏~秋の話です。間違っていたらごめんなさい)

この中から、価格と、時間と、場所とをにらめっこする感じだった(お金に糸目をつけないならこんな色々考えなくていいんだろうけれど)。

私は当初2018年の3月に石垣に引っ越す予定だった。しかし、祖父が倒れリハビリ生活になったために家族に引き留められた。6月には弟の結婚式があり、さらに夏中、自分の試験勉強をしていたらカレンダーはあっと言う間に11月になっていた。

がしかし。そうこうしているうちにLCCのバニラエアの成田ー石垣線が就航していた。ありがたい。採算が取れない、と、路線が無くなってしまわないように、こまめに乗ろうと決意を固める。

さらにチケットを買おうとしたら、たまたま「わくわくセール」なるお得なLCCのチケットをさらにお得にゲットできる機会にも恵まれ…(感動)…今年は最初の方に色々ともがいてしまったが、今になってみるとだいたい全てが丸く収まった気がしている。

旅の友にはスコット・ギャロウェイの「the four GAFA 四騎士が創り変えた世界」を。少し前に話題になったビジネス本で、勉強に没頭していたのでしばらく読むことができていなかった。基本まじめな内容ではあるけれど、案外ジョークも差し込まれており、時折「これ個人的な愚痴じゃねーか」とつっこみを入れつつ、面白く読み進める(個人的な愚痴が本に書いてあってもかまわない)。

10時半頃成田を発った飛行機はもう少しで着陸準備に入る。青く薄い地平線に、背の高い雲の壁がへばりついている。その手前にはいくつか小さな生まれたての雲が見える。

そういえば彼氏が昨晩「私が石垣に行く」という理由でわくわくしていたらしい。そして今朝は移動の当日でそわそわしているらしい。本人よりも周囲が落ち着かないというのは、案外そんなものかもしれない。なぜなら私は今回、特にわくわくもそわそわしていない。言ってみれば「隣の市の日帰り温泉に入りに行く」くらいの手軽さで飛行機に乗っている。

「行くぞー」となってから半年以上お預けをくらったため「そら行くの当たり前ですけど何か?」という気持ちになっているのかもしれないなと、ふと感じた。

 


 

自分の中に破るべき型と愛すべき型を見いだしたのはここ数年のことだ。

家庭環境から学んでしまった「コントロールするのが愛」そして「コントロールされるのが愛」という私の思い込みは破るべき型で、仏教用語では小我にあたると思う。本来の愛とは、大我。それは、自由であるということ。自身の自由と同時に、相手の自由も保証するということ。それから、自由のために大切なのは、相手を信じること。つまり、むやみに手を出さず本当に必要な時にだけ手を貸す、ということ。

家族と仲良くできるのなら、それが一番いい。たぶん、誰だって。でも、普通に仲良くできないこともある。普通じゃないということは自分か相手が無理をするってこと。私の場合は主に私が無理をしてしまう状況だった。父はある日そんな私を見かねて、彼なりの優しさで「家から出て行った方がいい」と告げたのだった。

幸いなことにそもそも私は移動が必要な性分でもあった。だから家を出ることも、遠くへ行くことも全然苦痛じゃなかった。これは、私の愛すべき型。

安定を求めていないというのとは少し違う。自分にとっての安定が、大小遠近問わず移動のある生活だ、ということ。もちろん、移動を繰り返し生きるのなら、世間でいうところの安定とは結果として真逆を行く羽目にはなるだろう。

それでも私は自分の道が嫌いじゃない。

たしかに、眉をひそめられたり、普通じゃないとはじかれるのは理解はすれど楽しくはない。どんなに自分の変さ(というか言ったら誰でも変だと思うし、別に私は普通だとも思うけれど)で仲間外れにされたら、私はその度にちゃんと悲しくなる。でも、自然に、時には悩みながら自分の心に従って生きて、行きついた私だけの場所に今、私は立っている。

獣ゆく細道」で歌われているところの『誰も通れぬ程狭き道をゆけ』の、その道にどれくらいの人が立つことができているのだろうか。人は、自分の人生しか生きることができない、とはいえ。

自慢したい訳じゃない。

ことさら話したい訳じゃない。

でも、こんなにも個性ある人生を自分で選び取って、生きることができているという幸せは、何にも替えがたいよ。

 


 

荷造りをする課程で、沢山の物を捨てた。

捨てる理由は、今の自分に合わない、もう小さくなった、もう大きくなったとか、スペースがないとか…。

べ、別にダメだから捨てたんじゃないんだからね!

その言葉を、本気の失恋をしてベッドにただ臥せっていた1年9ヵ月前の自分に教えてあげたい。私は自分がダメと言われたような気になっていたけれど、

ただ合わなくなった

という理由だけで私が物を捨てて良いように、そして、それが嫌いになったとは別の次元の話であるように(もちろん私は単純に嫌われて失恋したのかもしれないけれども)、いたずらにその事実を自分を傷つける理由にしてはいけないのだなと思ったのだ。

そして、失恋して寝込んで、でもこれじゃダメだとyoutubeで面白い動画を探して無理やりにでも笑ってなんとかアルバイトへ行って、某北海道のバラエティー番組で見た宮古島にどうしても行きたくなって、バイト代全部使って沖縄の離島に1人旅して、その結果石垣島に短期間住んでみてもっとちゃんと住みたくなって結局引っ越しまでしちゃうんだから、人生何があるか分からない。

私、前よりは成長しているかな。

死ぬまで勉強、は、そらそうなんだけど。タイムマシンに乗って傷ついて縮こまっている私の頭をなでられるくらい、もっと言うなら、ぎゅーって抱きしめて「大丈夫、楽しい未来が待ってるよ」って笑顔で慰められるくらいにはなったのかな。

って、まぁ、こんな平和な感じの日記を35歳で石垣島に引っ越した初日にとりあえず書き上げることができて良かったねぇって、私は今、自分で自分の頭をなでなでしてあげている。

 

 

※UPできたのはずっと後(現在日付変わって11月29日)だったけどね…

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