庚。きょうきと世界の間で

five birds flying on the sea

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唐突ですが算命学(占い)の話をします。そして生き死にの話をします。そこそこ壮絶な(自分ではあんまり分からないけれど多分壮絶だと思う)描写もありますので、苦手な方はお気をつけください。心を病んでいる方は元気になってからでお願いします。

 

私は日干が庚です。

干とは十干のこと。十干とは五行(木火土金水)をそれぞれ陽と陰で分けた分類のことで、全部で十種類→甲乙丙丁戊己庚辛壬癸。

甲とか乙とか契約書類とかに出てきますよね~あと最近は鬼滅とかでも使われてましたね!

ちなみに日干の日は生まれた日つまり誕生日のことです。

自分の日干が何かはこちらで無料で調べることができます。生年月日を入力して縦に3つ並んで出てくる一番左の上の干が日干です。

出典:https://sanmeigaku.info/


庚って、占い雑誌によくある、占星術ではなく、九星気学ではない占いで「鉄」とか言われたりする人です。きっと、占い好きの女子には分かってもらえるかと。

鉄=庚(陽の金)

自分が庚であるからとってもよく分かるのですが、自分の中に凶器があるのが庚です。鉄、刀とか、包丁とか。

それから物質としての刃物はもちろん、精神内における凶器との親和性もある気がします。つまり狂気。どちらも外に向かってしまうと犯罪です。内側に向くと自死(社会的な死含む)です。

※もちろんだからと言って全ての庚がそうではありません。他の要素との兼ね合いや育った環境によって化学反応は異なりますのでその点を考慮して見ていただけると良いかと思います。

庚の生き方はシャキッとしています。他人に厳しいことを言ってしまうこともありますが、それはわざとではなく気を付けたけど出てしまった、のような感じです。庚は小さい頃から自分の言葉の鋭さを知っていますから、わざわざ傷つけようとしなくとも傷つけることなど余裕です。

(余談:私は毒舌という自覚が全くないまま小学生の時に被害者の会を結成されていたことがあります)

大人になる過程でだいたいの庚は自分の刃の使い方を学びます。

学びきれなかった私は20代前半を狂気と凶器にまみれて過ごします。コワー(*´Д`)つまり手首を切ったり太ももを(包丁で!)切ったり、精神病になって記憶喪失になったりしました。死ななかったのが不思議なくらい。あ、あとODもしました。

ODをして治療されその後一週間病院のベッドで私が目覚めなかったので親は一度諦めたと語ります。今考えるとどれだけのエネルギーが自分に向いてしまっていたんだろうと恐ろしくなる。ちょっと昔だったら完全なる狐憑きと言われていたはずです。何度も何度も自殺しようとして、部屋の中で首を吊ろうともしました(本棚を利用したので最終的に体の重さで本棚が倒れ親に見つかり中断)。

私の性格上その時その刃は外に向きませんでしたね。それは、良かった。そのことについては、本当に良かった。

こういうこと書くとただのヤバイ奴ですね。

(*´▽`*)コワクナイヨー

しかし、例えば火も扱い方ひとつでおいしいご飯を作ったり時に家を燃やしてしまったりするように、刃物も素晴らしい芸術品を作ったり時には人を殺める道具になってしまったりするのです。

使い方が全て。

そんなこんなで自分の身体と心をメチャメチャにすることできょうき(めんどくさいのでまとめた表記)の使い方を学んだ私は、お陰様で今では「関わっちゃいけないヤバい人」を感じとれるようになりました(早くに避けてリスクを最小限に)! さらに自分の不安を細かく感じることができるようになりました(病気になるようなストレスは貯めません)! 自分の精神を守るために周囲を見張ることができるようになりました(病気になるようなストレスは貯めません)! 料理は上手って褒められることもあります(さりげなく自慢)! 得意料理は肉じゃが。

凹んだ先に良いこともあるんだな~と思います。

でも、あの時、死んでた可能性はかなり高くて。しかしその時私は本当に死にたかったのかどうかと言われたら今となってはまったく分からない。

結婚って勢いってみんな言うけど、死のうとする行為も単純な勢いなんじゃないかな。

でも、死のうとしてもそこで絶対死なない人と、死ぬ人がいる。交通事故とか、病気とかもきっと同じだと思う。生死の差というものは誰にも分からない。有名とか無名とかもちろん関係ないし、個人の運以上の大きな波のようなものに選別されているのだと思う(世界?)。

内側に向かなかった刃は10年後に外に向くんですけどね。その話はまた今度。ほんとまったくやんなっちゃうわこの身体と心。いつになったら大人しくなるのかなぁ。

なーんて思いますが、しかしこういう風に考えられるのは私が全てを捨てて逃げてこれたから。さらに逃げた先であたたかく受け入れてもらえたから。でも逃げられなかったらー?

っていうね。

庚は心の中に仁義を抱えている。なぜ仁義を抱えるかというと、自分の鋭さを知っているから。他人にずかずか入り込もうとしないのも、自分がずかずか入ってこられたらいやだから。

庚は本当は刀を使いたくないから、ずかずか入ってくる人を最後まで切らない。使ったら相手が死ぬことを知っているから。性格悪い庚なら相手を容赦なく切るかもしれない。が、優しい庚は、最後まで刃を人に向けることなく、耐え切れなくなって最終的にその刃を自分に向けるだろう。


怒られること、そして反論があることを承知でマイナーな私の考えは「死んでもいい」。奇しくもリンクする記事(https://worldsnets.com/theshowmustgoon/)を最近書いてましたが、その人が死にたいと思ってしまった地獄から誰も救い出してくれなかったら死ぬしかないと思う。

私は開き直る、を選択できたけれど、親の気持ち、周囲の気持ち、みんなの気持ち、などを考慮した結果地獄になってしまった人に、それでも生きろと私は言わない。私なら言われたくないし。そして人は往々にして救われたいと思いながらも救われたくないと思っているものだ。救われるために、例えばプライドを捨てなくてはいけないのなら死ぬ、という人も居るしそれは自由だから。

死は負けじゃないし、終わりでも何でもない。見えなくなるってだけ。例えるなら渡航手段が一切ない外国に行くようなもの。

そら家族や周囲は悲しいかもしれないけど寂しいかもしれないけど、それって本人の死ぬほどの地獄を知って言ってるのかなって思う。

私は自殺未遂から蘇った人間で生きていて良かったと思ってるけど多分たまたまだし、最近読んでるアメブロの龍子さんによると、死んで心が安らかになる人ってかなりいるんだなって勉強になる。

それはそうだよね、やりたいことできたんだもん。

生きるの中の選択肢全て奪われた結果、地獄で生きるor死ぬの選択肢しかなかったんだよ。選べてよかったのでは。

なんて、ほんと、裏意見過ぎてそうそう言えないのだけどね。

だからって何でもすぐ死ねばいいという訳じゃないよ。楽しく生きれたり、自由に生きられるならそれが一番いい。どうせいつか勝手に死んでしまうし。

けれども私は、生きている人間が死にかけている人間に対する「ダッテ生きててほしいんだモン!」のエゴの行く末を祖父&祖母の胃ろうで知っているので、いや、生きてりゃいいってもんでもないでしょ…と思うのです。

 

このことについて永遠に答えはなくて、でも私は本人の選択が成就したのならそれでいいと感じている。死んだら全て終わりだなんて絶対思わない(だってみんないずれ死ぬからね?)。ちゃんとその人が生きた証は残って、心の中で輝き続けるじゃない。何でもいいから生きていて欲しいという意見は、元自殺志願者の私にはエゴに思える。

けれど、それにしても、なんでこんなに胸が痛いんだろうね。

 

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