このところ遠距離恋愛が楽しくなさすぎて絶望している。
だからといって私は私でやることがあるし、すぐに引っ越しをする気もない(行くべきところがあるし)。そしてそれは相手も同じことだから、距離があるのはどうしようもない。
私は今まで遠距離のお付き合いはしたことがなかった。少し離れた場所に暮らすことはあっても、新幹線に乗らなければ行けない場所に恋人がいるなんて、意味がわからない。もちろん遠距離恋愛している人をディスりたいわけじゃない。遠距離恋愛における楽しみがあるのなら、私にも教えてほしい。私はただ知りたい。それだけだ。
以前の私だったなら痛みに喜びを感じる変態だったので、この状況を悲劇のヒロイン然として楽しむことができていたかもしれない。でも今、私は「私が楽しいこと」が一番大切なのだ。だから、楽しくないことが、嫌だ! 絶対!
嫌だといってもどうしようもないから、じゃあひとつ「嫌」を楽しんでみるかということになる。
そもそも私は遠距離恋愛の何が嫌なんだろう?
もし遠距離恋愛を楽しめる人がいるなら、何が楽しいのだろう?
とか考えるとどんよりしてきた。空も。雨降ってきたし。どちらにせよ非生産的だ。自分の中のこういった感情は処理に困る。
私の恋愛の楽しみは、好きな人の側に居る。ただそれだけだ。ただそれがあれば、私は本当に幸せなのに。今まで恵まれていたから、こういう気持ちは知らなかった。
彼氏に「彼女をお休みしたい」と言った。
そもそも私は自分に遠距離恋愛は無理だと感じていたし、遠距離恋愛がはじまることになった時に私はもう別れようと思っていた。
でも、その頃たまたま幼馴染に会って、彼氏と遠距離恋愛するのは無理だから別れようと思っている、と言ったらすごい勢いで止められた。咎められた、というか。怒られたわけじゃないけど、中学校で同じクラスになってから今までの付き合いの中で一番強い意志を感じたのだった。
「別れたら二度と会えなくなるっていうことだよ? それでもいいの?」
今の彼氏とは結婚する予定だし、そのくらい好きだと思っている。でも、どうしても遠距離が嫌で、もやもやしている気持ちを解消したいし、そのためだったら別れるのは仕方ないと考えていたのだ。でも、二度と会えないのは嫌だなぁ、とも思ったので、やっぱり別れるのはやめておいた。
それでもまだしばらくもやもやは続いていた。
役に真面目過ぎるのが悪い癖だ。自分に与えられた(選んだ、だけど)「彼女」という役割を100%、いや、1500%(せんごひゃくで合ってる)くらいでこなそうとしてしまう。一緒に過ごしているのならその事実でエネルギーは解消されるらしいのだけど、遠距離になると消化がどうもうまくいかない。
うまく消化されなかったエネルギーは私の中でくすぶって妄想になる。そしてくだらない妄想は私の不安を掻き立てる。最近私は脳が勝手に「彼氏が浮気しているのでは!?」という妄想にふけりはじめることに相当むかついている。なので、浮気してるのかな、してないのかな、と考えることをやめて(考えても無駄だから)「彼氏は浮気している」ということにした。ちなみに、彼氏はなかなか浮気しない人だと思う。(とかいう人が実はする、ってやつももう何巡もしている)
こんなことを延々と考える非生産的な日々を過ごしている。ぐるぐる。それが恋愛の醍醐味? 知らん。食べられない醍醐味などいらないのです私は。それで思い切って彼氏に「彼女をお休みしたい」と言ってみた。元ネタはSATC2。
長々と説明をした。彼氏はちょっとの間を置いて「いいよ」と言った。「嫌じゃない?」と聞いたら、言っていること全てが理解できない訳ではない。だから、どうぞ。と。
さらに話している途中で思い当たった。そうか、私は「彼女」という肩書にハマれないくせにハマろうとして結果辛くなっているんだな、と。だから私は「NEO彼女でもいいよ」と言った。新しい肩書ならいいだろう。ただし、その定義を決めてくださいと。彼氏は笑っていた。
結果、私は時々彼女をお休みすることになった。この話をしたのはつい昨日のことなんだけど、今すでに胸のもやもやがすっきりしている。私は多分、話を聞いてほしかったんだろう。そのうち休みは取ろうと思っている(実はその話をする前に内緒で彼女を休んでみて心が安らかになったのである)。
約束もした。休む時は「これから彼女休みます」と言うこと。そして、休み終わったら「休み終わったよ」と言うこと。
それと、彼女をお休みしている時でも連絡がきたら「友達として」対応すること。あと、浮気がしたいとか遊びたいから彼女を休むわけではないので、付き合っている時にしないことはしない、のである。
そのうちきちんと書こうと思っているけれど「愛は痛み」から脱した私は、世界が今までとは大きく違っていて、目の前に居る優しすぎる彼氏のことがよくわからない。
通じ合えているのか、距離は近づいているのか、遠ざかっているのか、そもそも愛を愛とするセンサーが故障していた私の判断は信頼に値しない。
けれど、こういう私の話を聞いてくれて、いいよって言ってくれる人は稀有じゃないかと思うし、この先二度と現れない……とそこまでは思いつめていないけれど、大切にすべき人物だということはよく分かるのだ。
ちなみに幼馴染には「絶対に逃しちゃダメ!」とまで言われている。えーそうなの? と思ったけど、長年の親友がそこまで言うんだったら、そこそこ当てはまる事実なんだろうとも思う。
遠距離恋愛のイヤイヤ期が過ぎつつあり、自分のことながら一安心である。どうせまたそこらへんの地面掘り返して不安やら悲しみやら苦しみを見つけ出そうとするんだろうけれど、それも一興だし、それを彼氏と一緒に解決したりするのも一興なんだろうなと思う今日なのでした。