書きたくない

lots of Yellow ducks

unsplash-logophoto by JOSHUA COLEMAN

自分の中がどんどん分裂していってブログを書き終わって明日見直してアップしようとか考えていると次の日の私はもう別人になってるから

何言ってんのコイツ

となる。下書きのまま放置された大量の記事たちが恨めしそうに私を見つめる。それらはかつての私。

 


変わりたい変わりたいかわりたい

新しいスキルを手に入れさえすれば私は素晴らしくなる。今の私は白鳥になるまえの醜いアヒルなだけ。ある時・ある人や状況なんかが私をとんでもなく素晴らしいものに変身させてくれるだろう。

がしかし、私はアヒルです。永遠に。

36歳にもなれば、あれ、この人変身とか別にしないんだな。魔法も使えないし、特別な人間でもないんだなとか、分かってくる。そんでもって未だに変身しようとしちゃったりなんかしちゃってる人に嫌悪感を抱いたりもする。

なんで嫌かって、かつての自分を見てるからなのにね。

ていうか、アヒルがなんで嫌だったの私?

アヒル可愛いじゃんね? あれ?

 


それは私がごく小さい時に私が親を落胆させたと勘違いしちゃってからなんだろう。外観は大人になった今でさえありとあらゆる誉め言葉やら喜ぶべき評価さえも「だって親が言ってたから」と言って却下してきた。

何!な!ら!

親と反対の態度(真に優しく好意的)を取る人たちに対して「え…なんでそんな良くしてくれるの…? 詐欺? 私から何かもらおうとしてる? お金? こわっ」と妄想もしてきた。

きっと実際悪い人はいるけれど、それって「てってれ~詐欺でした~\(^o^)/」ってネタバラシされなければ別にそうじゃないのである。それに、悪い人だって本気で人を好きになったりするだろうよ。自分にとって悪い事象が目の前に立ちふさがったならそこではじめて「あっこれダメなやつ」って即座に切り捨てればいいだけで、起きてもいない不安を今日も明日も明後日も次から次へと生成する「だって親が言ってたから」。

それもうやめよう。自分の人生生きよう。自分の判断で選んで傷つこう。しちゃいけない失敗なんてありゃしない。失敗しないと学べない。学べないと一生自分について知ることなんかできない。

何が好きか。何が嫌いか。自分で選んで、やっぱ違った、って気付きたいよ私は。

 


で、何が書けないかって、このところの私の状況をだよ。正確に言うと2月下旬から3月中旬にかけて起きた(もちろん起こしたと言える)一連の出来事についてだよ。書きたい、が、そして書いても別にいいだろうが、私にはまだその勇気がない。上手く説明できるかも分からない。何らかの形で作品として消化できるかもしれないけれど結局私には半径30センチの世界しか鮮やかに見えないし、その私の世界をなるべく文章にしたいって思ってこんなブログ書いてるのに書けないなんて私にとってこんな苦痛なことはないのに。

そうか、かけないことはしちゃいけないのだな。

たーしーかーに私は自分を知るために自分の、自分だけの感覚で行動してみたよ。えいやっとね。そしたら人生で一番とも言える大ごとになったわけだよ! さーすーがに凹んだよ。食の神に愛されている私だけど2週間まともにご飯が食べられなくなっていい感じに痩せた(良かった!)し、もう二度と自分の感覚信じてやるもんかって思ったけれどなんとか丸く収まったから今喉元過ぎれば熱さを忘れる状態でまた調子こいて足をすくわれたらさすがに次はやばくない? って感じながらも「なるべくしてなったのかも」とか思いだしてきてる。これが天中殺のなせる業なのか。たぶんそう。自然と共に生きるようになったから前よりも自然のタイミングみたいなものに敏感になってる。からこそ、来た波に乗らないと見えない何かにぶっとばされるのだ。

や、もう済んだことはいいや。

とにかく、何だろう、もう何も書けないから何とも言えないしどこにもたどりつかない。このことについてはあきらめよう。

 


この前見たアマゾンプライムのドラマ「succession」が心に低く響いている。主人公はお兄さんとギリギリ言えないくらいのおっさんで、父親は某一流大企業(北米でホテル付テーマパークを運営しているメディアの会社)の社長。親子の間に愛はあるけど方針は違う。家族、親戚、社員、敵、味方が入り乱れての策略劇。お、重い。こんなの見たら、ああ、お金持ちに生まれなくて良かったと思ってしまう。本当のお金持ちはこんなのではないと思うんだけど。

それでもちょっと前まではお金さえあれば大体全部なんとかなるんじゃないかと思っていた。それも一つの真実だと思う。けれど不思議な話、お金でだいたいはなんとかなるけれど、お金でなんとかできない部分をあらかじめどうにかしておかなければ結果お金も手に入らない、という状況であるらしいことにも気づいた。そして多分、たまにお金でなんとかできない部分をおろそかにしてもお金が手に入ることもあるんだけれど、だいたいは健康や家族や愛する人といった絶対に大切にしたいものが引き換えのように失われてしまう気がするんだ…。

という訳でこのところは新しい試みをしている。勉強はしたいからずっとしているけれど、本気でやりたくないことをしないということ。好きなことをするということ。それで生きていけるのかどうかという、テスト。

好きなことをしていると二つの感情が生まれてきた。一つは「ストレスぜんぜん溜まらない」ってこと。あともう一つは「好きなことをやってることを咎められる気がする」ってこと。

 



ストレスぜんぜん溜まらないはその通りで、うん。溜まらない。わあい! やったー! 毎日たのしーな! ごはんおいしーな! 終わり。

それで二つ目のやつは、頭がちょっとしたお花畑の自分に対して、「みんな頑張ってるのに怒られないだろうか」って思っちゃうってこと。

でもそれは、かつて自分が好きじゃないことをしていて、視界に映った好きなことばっかりやってて生きているっぽい人に向かって思ったこと、なんだよね。実際自分がなってみて、これはこれでなかなかどうして、とか思うんだけどさ、その時の私はたぶん、「何で私ばっかりこんなに働いてお前も苦しめよ!」みたいなの思ってたさ。やれって別に言われてないのに!

そんなの本当に本当に非生産的な構図。それから数年くらいで、わー! 毎日楽しいなー♪ になれた私は本当にすごいと思うんだけど(突然の自画自賛)、心の中ではネガティブに引き戻そうとする人たち(過去のわたし)と戦ってるんだよ実は。

やつらはずーっと私の耳元に居るよ。そして、「お前なんて価値がない」「今は幸せでもいつかひどい目にあう」「裏切られる」「みんなに嫌われる」「寂しい人生を送る」とかなんとか言ってくる。ネガティブラジオ!

しかし世の中のネガティブ全てに言えるけれど戦ってはいけないのだ。そう思わなければ死んでしまっていた心を守るためにネガティブわたしは生まれたのだ。鎧の役割を果たしてくれたのだ。念仏のようにありがとうと唱え、愛をおくる。

 


それはともかくとして、やっぱりとにかく「好き」って大事。そこだけ大切にしよ。で、自分の「好き」を理解してくれない人や場所や環からはそっと離れたらいい。自分が周りを変えようとしても変わらない。そもそも「変えよう」ってのがおこがましい、「私は正しい」って気持ちだから。

何が言いたいかって言うと、だから、自分から動いて自分の好きを尊重してくれる人や場所に出会いにいこってこと。もしストレスがあるなら。

という訳で、なんでかしらないけれどまた私は結構傷ついていて、それでも毎日楽しく生きてるって話でした。いや、内容書けてないけどね結局! 傷だらけだけど笑って生きるよ!

 

アヒル、可愛いねー。

cute duck

unsplash-logoMichael Anfang

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