【日記】カルマの発生メカニズムを考えてみる

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カルマってあるなって思います。

でもカルマってなんで発生するんだろうって、ある日、思ったのです。

仏典などの日本語での解釈では「」という意味合いで使われる。サンスクリット語では「行為」、または行為の結果として蓄積される「宿命」と訳される。カルマは「過去(世)での行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ必ず自分に返ってくる。」という因果応報法則のことであり、インド占星術土台であるヴェーダ哲学の根底に流れる思想である。

コトバンク「カルマ」より

この、なぜ「行為が自分に返ってくるのか」というところを深く考えてみました。


まず、人は自分の世界を持っている。

自分の世界とは、自分独自の宇宙のことである。

この独自宇宙の中身(フィルター)は人によって大きく異なる。好きなもの、嫌いなもの、経験、とらえ方、などなど。家族や兄弟であっても全然違う。同じものはひとつとしてない。

自分の世界には、存在するものと存在しないものがある。

例えば趣味。ものすごくギャンブルが趣味の人は、生活どころか人生なげうってもギャンブルをする。この人の世界を構成する要素はギャンブル99%とかだったりする(良い悪いはない)。

逆に、ギャンブルに全く興味のない人は、ギャンブルの仕方すらわからないほど。やりたい気持ちもわからないし、どこに店があるかもわからない(良い悪いはない)。

ギャンブルが趣味の人は旅先でも「パチンコ屋」をこまめに見つけるだろう。かたや、ギャンブルに興味のない人は、パチンコ屋を見ても意識に上らないので「あったかどうか」すらわからない。

これが、自分の世界に「存在している」と「存在していない」の違い。 

「対象」が好きだからと依存症まで行くとあまり良い結果にはならないはずだが、「対象」と程よい距離を保てば専門家になることもできるだろう。また、今の時代Youtuberとかなら専門家まで行かなくとも、仕事にすることもできる。

対象を何にするか? は、自分で選べることもあるし選べないこともある。趣味の範囲なら好きに選んでいいが、犯罪になりそうな行為・対象は慎む方がいいかもしれない(人生が終わってしまうこともあるから)。

 

私は、そもそも自分の世界に存在しなかったものを、あえて自分で選んで世界に存在させることをカルマと言うのだと思う。

例えば、Aが中学校でBをいじめていた。時は流れ、Aが入社した会社の取引先の担当にBがいた。かつてAがBをいじめたことを理由にBがAをいじめる。賛否はさておき、これがカルマのしくみ、因果応報の中身。自分のせい、のざっくりしたところだ。

だって、最初にAがいじめをしなければ、Bからのいじめはなかった。Aは自分の選択によりいじめを自分の世界に引き入れてしまった。つまり、自分で「いじめを発生させてしまった」のだ。

Aの世界に一度存在を許された「いじめ」は、Aの世界に存在し続けることになる。

この先、Aの周囲や家族に理不尽ないじめが発生しても、Aの責任であると言える。

(ただし、算命学では親とか家系のカルマを子供とか孫が引き受けたりもしているから、実際の世界では、もう少し複雑になっている。さらに、カルマの学びは自分の一番大切なものに対して執行される可能性も高い。自分では学ばない場合にはまあそうなる。とにかくされて嫌なことはしない。ってものすごく大切なことだよなーと感じる)

(ちなみに、なんで自分のせいじゃないカルマを引き受けなければならないのー? という疑問は当然だけど、親とか家系は、自分の宇宙のコピー元だから仕方ない部分もあったりする。先祖が居なければ今の自分は無いわけだし)

出来事が大きすぎると、何代もかけて償わなければならないようなことももちろんあるし、自分がこれからする行動で何代にもわたって償わなければいけないようなことも起こせるわけで、そこはお互い様だ。

(余談だけど、人は「自分の家系に繰り返し生まれる」という考え方もある。あなたに暴力をふるう親、に暴力をふるっていたひいおじいちゃんは、実はあなたの前世かもしれないのだ。そうすると、「家系のカルマ」の意味がちょっと分かるのではないだろうか? 信じるか信じないかはあなた次第である)

 

話を戻そう。子どもの頃に意図しない暴力を受けてしまった、という被害者の世界にも、残念ながら暴力が存在している。いじめや暴力のみならず、自分が選択する以前に、自分の世界に「対象」が付与されてしまうことは何についてもある。100%望み通りの自分の世界を構築できる人はいない。

でも、自分の世界に存在する「対象」は選べなくとも、「対象をどうするか」は自分で選べるのだ。

(ギャンブルの例を再び出してしまいギャンブルが趣味な人は複雑な気分かもしれないけれど他意はないです)

ギャンブルがめちゃくちゃ好き! で、ギャンブルで借金を作ることも、いち趣味で楽しむのも、仕事でギャンブルに携わるのも、ギャンブル系Youtuberになるのも、本人の選択ひとつなのである。

言い換えれば、使い道は選べる。ということ。

毒親に育てられた田房さんは、自分の苦しみを表現として、または自分の個性として転換した。簡単なことではない。本人が完全に癒されることもないかもしれない。しかし、母親の呪縛から抜け出そうとするさまは多くの人を勇気づけている。そして、多くの傷ついた人の心を癒し、呪縛を解くための手助けとなっている。

本当は、全て平和な、自分が望むような世界を作れたら一番いい。しかし、そこに学びはない。きっと、困難も乗り越えられるから与えられているはずなのだ。

 

まとめると、カルマは、すでに発生しているものと、自分が発生させ得るものの両方ある。だからこそ、なるべく必要のないカルマ形成には手を出さないようにしよう。自分だけで始末がつかないカルマもあるから。

かつ、今自分が抱えているカルマを、自分や誰かを救うために昇華しようではないか。

私は、心臓病と精神病のきらいがある。心臓病は母方由来もの。精神病は父方由来のもの。父はうつ病になったものの、母と弟にはそれらは出ていない、しかも同時は私だけなので「何で私ばっかり大変やねーん!」と思うこともあった。なんで私だけがカルマ引き受けてんのーん?

って思ってたけれど、私が存在していることで両家のカルマを浄化しているそうだ。昔、精神的に荒れていた時に母に連れて行かれた退行催眠で言われた記憶がある。たぶん、きっと、私にならできると、誰かが思ったのだろう(出てこい!)。

はー。そうなんですか。じゃあ仕方ないっすね。と、今の私は思う。

大丈夫大丈夫。

きっとできるさ。

 

もう秋だねぇ。

(秋も大好き)

Photo by Richard Brutyo on Unsplash

 

いつも読んでいただきありがとうございますm(__)m

2021/8/24 追記

丙午さんとか戊午さんとか運勢で「強すぎる」とか書かれて、さすがにかわいそうじゃね? って思った。だって誕生日なんて自分で選んだわけじゃないものね。ということで『宇宙が私に、強くあってほしいと望み、私が生まれた』っていう言い方はどうかなぁ。ただ、これは人を傷つける言い訳とかにしたらいけないからなんとも紙一重な発言になっちゃうなぁ。。

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