それホントに? って思ったり思われたりするって日記

poolside

photo by Etienne Girardet

 

自分の範疇にない出来事を聞いても、素直に「へぇ」と思えることもあれば「え、嘘なんじゃないの」と思うこともある。この差はどこから来ているのだろう。

想像力の問題だろうか。

先日、かなり壮絶な友達の話を聞いた。もちろん真面目に聞いていたけれど、途中からなんだか訝しがる気持ちが湧いてきてしまって、涙ながらに語っている友達を前に自分に対してなんじゃこりゃと思ってしまった。

もしかすると自分の想像力を超えてしまうような話を受け入れると、自我がアイデンティティの危機だとかなんとかビビっちゃうから、とりあえずよく分かんないけど嘘って感じることで却下しておこう。というプログラムでもあらかじめ私に組み込まれているんだろうか。

え。でもそんなこと思っていたら昨日までの古い自分の枠の中でしか他人と繋がることができないちっさい人間になっちゃうじゃん。やだ

枠は、ルールは、世界は新しくするためにあるんだから。どうにかしてこの「すっごい話を聞いたらとりあえず嘘と思う」という機関をつぶしておきたい。

もしかしたらもう誰かが研究していて名前がついているのかもしれないけれど。

私は怖いのかな。必死で自分の周りに築いた塀を壊されるの嫌なのかな。でも、こんな広い世界に住んでいて閉じこもるのはもったいないと思う私は。って、そんなことを言いながらも自分が本当に臆病で小心者だとも知っている。でもだから今まで死なずに生きてこれたんでしょとも思う。確かにそれもあるけど。私がとりあえず無事に生きているのは何のおかげかははっきり言ってわからないから、あんまり持ち上げるのもどうかなと思う。

 


 

去年の夏は何度も海に入った。石垣島やその近辺の海は遠浅が多いので、砂浜からまずはシュノーケルとフィンを手に持って砂の上やゴツゴツした岩の上を歩いてゆく。もちろん、底がゴム素材で滑りにくくなっている海用の靴を履いている。潮が引いている時はサンゴも見えるから、生きてるサンゴを踏まないように細心の注意を払う。

だいたい5分から10分くらい歩くと、いきなり落ち込んでいるところが出てくる。砂の底が見えるところもあるし、底がまったく見えないこともある。

大抵は深い青で、一瞬、背中に冷たいものが走る。

岩のへりに座って、シュノーケルとフィンを身に着ける。フィンを履くと歩くのは困難になる。ペンギンの地上を歩く気持ちがとてもわかる。

シュノーケルのメガネを顔にかるく押し当てて、口にマウスピースをふくむ。立ち上がり、落ち込みを見つめると頭がくらくらしてくる。ひざを曲げて、海に抱き留めてもらうみたいに力を抜いて前から海水の中へ落ちる。

目を見開いて周囲を見渡すと、軽く死んだ気になれる。

信じられないくらい広い海がどこまでも広がっているという事実を体中で感じる。ああ、おっきいサメとかタコとかイカとかシャチとかにいきなり襲われたらひとたまりもないだろうな。死んでしまうだろうな、と。

海は好きだけど、絶対的にいつも怖い。深い森に入る時も同じように感じる。この前行った伊勢神宮も似たような空気をまとっていた気がする。

神様の領域。

魚を見たり、きれいなサンゴを見たりしていても、つねに凛とした緊張感が漂う。あれは何なんだろうと思う。うまく言葉にできない。その気になればいつでも殺されてしまう、自然の力という鎌がつねに頭の上にあるようなもんだと思う。シュノーケリングやダイビングは楽しく素晴らしい世界を見せてくれるものだから怖がらせることはしたくないのだけど、毎年死者が出ているのも確かだ。

 


 

しばらく前から「怖いこと」をしている。

一昨年は車の運転だった。今はかなり上達したと思う。去年は海と、新しい場所に住むということだった。

どちらも今となっては私の人生になくてはならないものになった。怖くて、できることなら避けたいと思っていたけれど、思い切ってそれこそ「死ぬ気で」飛び込んでみて良かった。多分、良いことしか起きていないと思う。

今年は……どうやら地道な仕事と勉強、みたい。修行もあるっぽい。これも年始にはなんとなく自分で予告していたし、去年から予感があったから自然な流れだけど。それにしても、コツコツと地道に前進するのが苦手で笑ってしまう。それでも、流れでそうなっているから歯を食いしばってやってる感とかは薄いかもしれない。

イメージは箱根マラソンのランナー。沿道の人(みたいな周囲の人々)が「がんばれー」とかハタ振ってくれてたりする。

地道にできなくて死ぬわけではないと思うけれど、多分私は死んでしまうだろう。自分を表現することは1日ではできないし、自分を表現していなければ死んでしまうから。

どっちに進んでも怖いけど、やっぱり自分が死ぬことが怖いから、コツコツしますね。

 


 

冒頭に戻ると、私は自分の話をするときに、たまに「え、それ本当に?」っていうリアクションを時々されてたなって思い出した。つまり、私の話が信じられない人もいるということなんだよね。

たまに私も自分で信じられないような経験もあるから、その気持ちはわかる。し、一番最初に書いたように実際に私も友達の体験に対して本当かよって思ってしまっていわけで。

逆に、みんなが「あーそれあるよねわかる」みたいな世界になったらどうなるんだろうって想像してみた。そしたら高次元の宇宙人の世界みたいなのになってくんだろうなって思った。

分からないから個があるのであって、分かるが一定のラインを超えたらどっちが自分か分からなくなって、液体とか気体みたいになるということだと思う。あー、でも素粒子レベルで見たらこの世界だってそう違いはないのかもしれない。って考えが必要以上に深まりそうになったので今日はよく分からないままでおしまいです。

 

答えとかは特に出ませんでした。

 

 

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