【※※回復日記】2022年3月17日

Indian coral tree and cloudy sky

目覚め

石垣島の冬は雨と曇りが続く。

今冬は例年より降水量が増していた。確かに、いつも以上に重く暗く長い感触の冬であった。

事実、新しい仕事―やっと見つけた天職のようなもの?―でさえ、投げ出してしまいたくなるような気分でいた。

仄暗いところから聴こえてくる「このまま行くとヤバイんじゃない?」というささやきは、全力で仕事に向き合っている時期には聞こえない。聞こないようになっている。私の心は、生きるために、全ての感覚を無視するような仕組みになってしまっているようなのだ(もって三か月程度だが)。

全力疾走している時期は仕事を言い訳に全てを反故にする。嫌いな、面倒なことと、なぜか好きなことも。全部。仕事のスイッチがONになったなら、休まることは許されない。ましてや、遊ぶことなんてもってのほか。

私にとって、仕事は息を止めて海に潜っていくような体験である。

「人間の価値は、どれだけ息を止めて、海に沈むことができたのかにかかっている」なんてことを、つい考えてしまう。これは、自然に浮かび上がるだけで、決して推奨したくない考えなのだけど、仕事さえしていればいい時期には、こんな声が脳裏に響き続けている。

潜り続けたあげく、限界、または死を感じて水面に上がると、身体のいくつかの機能が失われている。単純にしばらく動けない。冷静な判断もできない。頭は麻痺している。

この冬の間、仕事のためにフル回転していた脳が止まったのは2月28日のことだった。次の月のスケジュールも考えられないし、スケジュールを考えられない自分を治す方法もとうてい思いつかなかった。

とにかく、私は壁一枚となりにある死を回避するために、全てを停止し、自分を見守ることにした。

3月に入り、2週間ちょっとが過ぎた昨晩、私はやっとお酒を飲むことができたのだった。

 

 

 

目を覚ますと同居人の姿は無く、時計を見ると10時半少し前。

このところ私が自分に言い聞かせている言葉「生きているだけで偉い」を思い出す。それと「死んでいてもおかしくなかったのだから」ということも一緒に。

ほぼ見えなくなった左手首の傷のことを思い出す。死ぬような傷ではない。しかし、心の傷は見た目よりも大きく深く、さらにたいして癒えていないんだと感じた。だからこそ慎重になるべきことは、ある。

お昼過ぎまでぼんやりと「セックス・アンド・ザ・シティ」の続編、「アンド・ジャスト・ライク・ザット...」を最終話手前まで駆け足で見た。

お昼ごはんのことを考えていたら、なんとなく街へでかけたくなった。タクシーを呼ぼうかと逡巡して、結果バスで行くことにする。(この文書の冒頭は、バス停でバスを待つ間に書かれたものだ)

春が舞い上がり、踊る。

ここ数日、一気に気温が上がり、華やかな鳴き声の小鳥たちが恋を謳歌するためにマンションのベランダや廊下に訪れていた。彼らの歌声はオーロラの輝きをばらまいたような美しさがある。ときに突き刺さるように、ときに包み込むように。

テントウムシやタマムシといった、厚い殻に覆われた虫たちが空に舞っているところも目撃した。多分、春のざわめきのおかげもあって、私はいつもよりも早く元気を取り戻しつつあった。

「とりあえずやってみよう」と見切り発車をするところが私の良さではあると思う。深く考えると動けなくなってしまうのだから。あれこれ手を出して約束した挙げ句、最終的に疲れきって全てと縁を切りたくなってしまう(もちろん約束するときはできる。としか思っていないのだが)。

しかし、私よ。

何度SNSやチャットアプリのアカウントを突如削除してきただろうかね。

そろそろ40歳にもなるんだから、どうにかならんのかねそれ。

街へ向かうバスには座れなかった。トランクを抱えた観光客がぎっしり乗っていて、私のスペースは無かった。でも、運動不足を解消したい気分だったから、願ったり叶ったりだ。何日分なのかとインタビューしたくなるようなトランクの隙間で、体を細くしたり、ねじったり、空きスペースに移動して、久しぶりのバスを楽しんだ。

観光客の98%が降りるであろう離島ターミナル、の一つ前のバス停、桟橋通りで1人バスを降り、ユーグレナモールへ向かった。

 

 

このところ幾度となく静まり返った通りを見ていたから、観光客が戻ってきているのを見るとホッとする。島の経済の可視化。

騒がしい大学生っぽい男の子たち8人グループとか、やんちゃそうな男性2人組とか、スマホで懸命にお店を探す3人組の女の子たち、とかほほえましく見送り、行きつけ(と言えるほど貢献してないけど)のカフェに入る。

店員さんは、いつもすぐに私に気づいてくれる。私はしかし、気づいてくれるまでの間、気づいてなくても大丈夫なふりをしてしまう。気付いて欲しいが、気付いてもらえないならそれでいいんだもん、という拗ねた子供のような気持ちになったりもする。

こういうところ。こういうところを治していかなくちゃいけないのだ、私は。

カレーとカフェラテを平らげ、しばしお話をする。これまでに沢山しゃべったわけじゃないけれど、何かと同じ温度でお話ができるのがとにかくありがたい。無意識に尽くしてしまう私なので、好きな人じゃないと近づけない。つくづく面倒くさい私。と思う。

出不精極まりない私なので、カフェに来ているのに、オススメのカフェを聞いてしまったりする。居酒屋さんの情報や、これからの展望なんかについてもお話する。

私だけの時間を、楽しむ。

誰にも知られない、私の時間。

私のおじいちゃんはかつて池袋駅近くで商売をしていて、店舗から少し離れた場所に事務所と称してちょっとした部屋を持っていた。

1階にはテナントが入っている。不動産屋の入り口の横に古ぼけた茶色いドアがあって、そのドアを開けるとすぐに階段がある。2階に繋がる階段は細く狭く、隠してあるような雰囲気。それぞれのテナントは別個の建物なのに、2階の部屋だけを廊下を無理やりつなげて作っただろう変なつくり。ちょっとしたトリックアート美術館にありそうな、がしゃっとした部屋だった。

小学生だった私と弟は住むには適さない(トイレはテナントの人と共同、風呂なし、水回り設備が最低限で無理やりつなげた廊下には隙間も多くねずみが出る)その部屋を、しかし「隠れ家」と親しみを込めて呼んで、時々、おじいちゃんがいてもいなくても遊びにいったものだった。

人間には隠れ家が必要だ。特に、身近な人との関係にストレスを持ち込めない人。その上、もし一緒に居る人からストレスを受け取ってしまうなら。リビングが、キッチンが、寝室が安らぎにならないのなら、隠れ家を作らないといけない。

いけないとか書くと、強制みたいに聞こえるかもしれない。でも、ストレス処理ができない人に限っては、半分強制として逃げ場を作って欲しいと強く願うのである。ストレス処理できない人の「大丈夫」なんて言葉は信じられないのだから(自分のこと)。

生きるために、望まず身に着けてしまった癖は、しかし、自分の存在そのものを危うくする。

死ぬのは自由だ。自分で自分を殺めることが可能な仕組みがあるということは、してもいいかもしれないということだから(死後誰かに怒られたりするかもしれないけれど、自殺したからといって殺されることはない、のだから。多分)。

実際、私は22歳くらいにとてつもなく死にたかった時期があった。し、今も深く落ち込んだなら死にたいと思ったり、消えたいと思ったりする。こんなことをつぶやくと「絶対だめ!」と未だに言われたりするけれど、別に自ら「死のうと思おう」「消えたいと思おう」って思ってないのだから、どうしようもない一面はある(「死にたいと言うのがだめ」とならまだ分かる←納得はしないけれど)。

私にとってネガティブな感情は、勤めている会社を辞めたいと思うのと同じフラットさで存在している。会社を辞めたいと感じたり言ってはいけないなんてことがあるだろうか。いつでも、だれでも、感じることも言うことも自由だ。

とは言え、自殺はコスパが悪いとも思う。

このゲーム(人生)の目的も謎のままだし、愛の取説も渡してもらえなかった上に、いつ爆発するとも分からない手りゅう弾?だけ与えられて「ここから幸せになれ」なんて、なんて、なんって無茶な。

RPGゲームの2周目が「強くてニューゲーム」なら、※※はさしづめ「強制弱くてニューゲーム」。スタート地点に立つまで2倍の時間が必要で、そんなときに横に強くてニューゲームの人が来て「死ぬなんて言っちゃダメ!親が悲しむよ!」なんてキラキラした目で言われちゃったりた日には……心底嫌になっちゃうんだよね。

って、嫌になっちゃう気持ちも今の私は分かるんだけれど、せっかくここまで生きたから、まぁ生きてみよっかな……せっかくここまで生きたしな……てなもんである。

それに、死んだ後に自分がどういう立場で自分の人生を眺めることになるのかが謎だから、死んだら楽になるかも?という考えは、今の私にとっては理由としてまだ弱い。

結果、生きることにするという感じで。

このくらい軽く考えていいんだと思う。真面目さんは、自分で自分の首絞めちゃうところあるから。

多分、今まで生きてきた経験を活かすときは来るって感じている。実際、辛かった気持ちを分かち合うことで、誰かの気持ちを安らかにできているときも少なからずある……あったはずだし。

だから、再びそんな、ささやかな、「まぁ、生きていて良かったな」とか感じられるような出来事に出会えるかもしれないので、私は時にはいつくばってヘラヘラしながら生きるのだと思う。

 

◇ ◆  ◇

 

最近放送大学の授業のために読んでたすごかった本(講演の書き起こし)

 

上記の本を読むためにまず読んだ本(Amazonのコメントで推奨されてたから読んでみた)

 

上2冊の著者フランクルさんは精神分析学者。ユダヤ人だったのでナチスの強制収容所に入れられてしまい、自分や周囲の極限を見ることに。生還してから本を書いたり講演をするのだけど、なぜか彼のいう精神状態の説明がところどころ「わかるわ~」ってなるんですよ。きっと※※は同じような過酷な状況下を体験しているから。

毒親も被害者だとするのなら、じゃあその毒はどこから来ているのかと考えてみたら、多分戦争からなんじゃなかろうか。戦争で生み出された毒が下の世代に様々な形で伝わってしまっている。

私は私の体の中にある毒を、自分で引き受けて、少しでも薄めていこうと考えているのです。

「ここは私に任せて……先に行け!!!」と、私は上の世代のあれやこれやはなるべく引き受ける所存です。今の若い子たちは極力、頑張らないでのほほんとただただ楽しく生きていけるようになるといいなと思う今日この頃なのでした。

 

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