4月予報/感情の先にあるもの

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こんにちは。すごい、もう一ヶ月経ってしまった。

日々目の前のもやもやなやつと、具体的な出来事をやっつっけって(合ってる)いたら、もう4月目前でした。

何もしていない訳じゃないよ!

ブログは、5記事くらい、下書きがある(ばかー)。なので下にくっつけときます(やっつけ感!)。

そんな感じでちゃんと予定を書いておかないと後回しにして人の手伝いにバタバタしてしまうような春だったから、今からちゃんと予告しておきます!

4月は出会いと別れをテーマに新作算命学占い動画6本か+1本説明動画UPします!

あと、今年の目標は本を出すことなので、なんかそれっぽいことをします(オヤ?)!

お勉強をします! してます!

ブログを上げます…ちゃんと書いていきます(オヤオヤ?)。

…てことで4月予報をしましょう。

自分の生まれた日の十二支を算命学や四柱推命で出してみて下さいね。動画はこちら。知ってる人はGO↓です。生まれた年しか分からない人は「仕事運」として見て下さい。

生まれた日の十二支別★4/4~5/4(壬辰)運勢

生まれた日の十二支位相法運勢
子日半会(水)怒涛の3月お疲れ様でした! 4月はラッキー月です。お勉強・知的交流がはかどります。冒険も◎。
丑日じっとしていられない春。未来の不安を感じても、慌てないことが大切。ちゃんと取り戻せます。安心してね。
寅日なし5月が勝負時なので、4月は引き続きのんびりしておきましょう。周りの慌ただしさに流されないように。
卯日大人な態度が幸運を呼びます。頑張らない。積極的にあきらめること。5月は平穏が待ってるからファイト☆
辰日自刑うろうろ、おろおろする時。立ち止まり迷うことで新しい道が見つかります。何事もゆっくりこなして◎。
巳日なし引き続き平穏は続きます。自由に過ごしましょう。手がかかる事柄は今のうちに計画・実行しておくこと。
午日なしつかの間の平穏。6月までに心を整えておくこと。気持ちは楽に巡ります。自然な学びが身に付くでしょう。
未日なし楽しかった3月の余韻を楽しめます。自分のやりたいことを少しずつやる。頑固にならない方がいいかも。
申日半会(水)ラッキー月ですが、5月にジェットコースターが待っているのであまりスピードを出し過ぎないこと。お家が吉。
酉日支合酉さんにしてはまったり、しっとりな日々を過ごせます。運気の上乗せは5月。足場をしっかり作ること。
戌日対冲楽しかった2、3月は忘れて、目の前の課題に取り組みましょう。頑張りすぎない。トラブルにあわてない。
亥日なしラッキーの3月が終わり一息つけます。5月に「変化・変動」が待ってますから、4月はのんびりがおすすめです。

そして電話占いのスケジュール4月もUPしました☆

新しいお仕事もどっかでやるので(まだ言えない)、そちらもよろしくお願いします(告知なのにぼんやりか)。

ではでは、以下、私のつぶやき野良哲学思考文章をどうぞ!

楽しい春を過ごしてね!

すでにクーラーONの石垣よりお伝えしましたっ


理性と感情、どちらが大切かと聞かれたらあなたは何と答えるだろうか?

Photo by Julia Caesar on Unsplash

以前の私なら、断然理性だった。

自分が感情が薄い人間だったのと、だからこそ比較的感情に振り回されず生きてこれたから理性アゲは当然と言えば当然だった。

感情は何かと悪者にされがちだ。

特に日本では感情にまかせて泣き叫ぶ人なんか人として見られない。悲しかったら、しっとり、黙って、耐えろ。となる。男子ならその重圧はさらに重なるだろう。

理性は素晴らしい。

理性で社会が回る。

感情よりも理性が勝る、私は偉い。

なんてことは、

無い。

この文章は、かつて理性こそ正義と感じていたかつての私とお別れする文章となっております。

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なぜ私が理性的な子供だったかというと、親が理性的ではなかったから。

両親とも蟹座で、愛情のエネルギー値がものすごかった。なーんてことを書くと全蟹座ディスみたいになるけど、そんなことはない。

お友達にも蟹座さんは居る。蟹座さんは深い愛をたずさえた人たちで、何も考えずに冒険に出てへとへとに疲れてしまった私の心を、何度親のような愛で抱きとめてもらったことだろう。

だだし、そんな蟹座さんの内側にある、身内大好き心と愛情が間違った方向へ向かうと、その膨大なエネルギーのあまり対極と思われるの理性を最大限携えなければ生きていけないような、つまり私みたいな子供が育つのかもしれない。という一例の話である。

さらに今の私は両親の愛情の運用が間違っていた(いる)事実を理解しており、かつ、愛情の存在については疑っていない。 

例えるなら、お金そのもに罪はなく、運用方法ひとつで世界を兵器まみれにも慈愛に満ちた美しい世界にもできる、というだけ。彼らは彼らのやり方で愛を表現しており、私は好みじゃないってだけ。

とにかく、私は、私に理解できない愛をふりかざす親のもとで、理性的に育たざるを得なかった。

親はいつも感情的なので、私は口の回らない小学生のうちは、黙って、頭の中でふつふつと湧き上がる感想をひとつひとつ箱へ、名前を付けるなら「理論の基」の箱へ入れていた。

中学生であまり殴られなくなると、上から目線で持論を展開しバリアーを張る。本も沢山読んで経験値も十分だ。口の減らない子? 上等だ。

理性モンスターへと成長を遂げた私は外へ出て、復讐の代わりに感情的な人間を馬鹿にしだす。

「感情的な人間は全て馬鹿で幼稚だ」

そんな私がサービス業を得意とし、一時は(俳優への道を見据えてとはいえ)アイドルとして活動していた。あんなに嫌いなはずの感情労働である。なんとも若者らしい皮肉とアンチテーゼにまみれていたのだろう。

改めて言うと、私の中に眠っていた感情は本当はとてつもなく見つけられたかったに違いないということ。

そして、子供の頃から封印され続けた感情は、話が少し前後するが、舞台に携わる22歳頃から暴れるようになる。

私に無視を決め込まれた私の感情は、身体の中で大きな闇に成長していた。

さらに悪いことに、両親は私を感情のゴミ箱にしていた。お互いの愚痴を別々に私に吹き込んでいたのだ。

本当は私は早く大人になりたかった。なぜなら自分の育成環境が感情面で確実に理不尽であることを知っていたから。

(ただし8ハウスに太陽がある私は家系のある部分を継ぐような状態でもあり、生年中殺も受けているため複雑な親子関係は運命づけられているだろう)

私は父、母、お互いの愚痴に頷く。私に投げ込まれる悪意に私は抵抗をしない。抵抗をするのは感情だから。感情は動きを縛られたままだ。私は感情の使い方が分からない。悪意はただただ吸い込まれてゆく。私は、自分の感情もブラックホールに捨て続けた。かつて、そして今も、両親がそうしていたように。

(世にも奇妙な物語で「穴」という作品にもなったお話。ここで捨てられるのは感情ではないけれど、昔この話を知ってずっと忘れられなかったのは自分との親和性を感じていたからだと思う。)

精神病を患っていた23、4歳頃の私は絶望と共に目覚めていた。

薬でなんとか眠った先で、徐々に効き目がほどけ闇につかまり、最終的に悪夢に沈む。泣きながら目覚めても地獄のような世界だ。また目覚めてしまった、と、永遠に絶望する。

朝日すら美しく感じられない。またここか。まだここか。私は、何故ここに居る? 問に答えが添えられることはなく、絶望に満ちた世界で私はひたすら唱える。

「死にたい」

今をもってしても、なぜ私は死にたかったのか明確には分からない。

けれど、今、理性と正しく結ばれようとしている感情は私に答えに近いようなことを教えてくれる。

あの時死にたいと言ったのは、私の隠された感情ではなかっただろうか。

長い間黙殺され続けた私の感情が死のうとしていたのではないだろうか。「一層のこと殺して」、間違いない。感情は生きることを封じられて、私は自分に感情があることを絶対に認めなかったのだから。

Photo by Anthony Tran on Unsplash

ヘドロの中を這うような20代前半から、なんとかして愛を見つけ知ろうとしてまだヘドロの20代後半(結婚しようとした相手は私に言葉の暴力をふるう相手だったっけな)を経て、もう何でもいいやーの30代前半になってもまだ私は感情を認めなかった。

時々、ぶち切れて部屋をぐしゃぐしゃにしていた。時々は火山は噴火しないとだよね。片づけるのは自分だけどさ。発散の仕方が分からなかったし、発散の仕方すら縛られていた気がする。

(あえて今ここでカテゴライズしないけど、私と同じような状況下で育った子どもはそれはそれは人生がおっかしなことになりやすい。グレるとか人を積極的に傷つけるとか分かりやすい方向に行けない人ほど、自分の人生をぐしゃぐしゃにすることで親への復讐を叶えようとしているんですね)

私はありがたいことに、自分の人生をぐしゃぐしゃにしても何にもならないことを絶望に教えてもらえた。そこからは、少しずつ感情を知り、受け止め、表を歩かせている。感情よ、自由になっていいんだよと声をかけられるようになったのは、石垣島へ来る少し前のことだった。

Photo by James Padolsey on Unsplash

石垣島に来て知り合った人には、「昔から自由で感情を素直に出す人」と思われるが、個人的には私は石垣島前はもうちょっといいひとぶりっ子だった気がする(近しい人には認めてもらえないだろうが)。

でも、まあ、感情のオーナーの私からするとこぼれちゃうものと素直に出すものは私自身の感覚がかなり違っていて、私は感情を素直に出したことで、やっと自分本来の人生を歩めるようになった気がするのである。

って、それはそうか。感情も私そのものだからね。

感情を素直に出すようになって良かったことは、ストレスが減ったということ。

もちろんどんなに近しい相手でも礼儀や節度を無視しちゃいけないし、私が快適に生きるために傍若無人になっても良くない。周囲が快適でないということは、私が快適でないということとイコールでもあるからね(友達0人は私は無理)。

でも、「私、今、感情出してるなぁ」「わがまま言ってるなぁ」って時に相手が受け入れてくれると、ものすごーくありがとうって思えるの。←そして、これがめちゃめちゃめちゃ大切。

だって、私が感情を出したい時に(実際出ちゃってるか出てないかはさておき)出さないで理性的でいる、というのが相手のためだったとしたら、このストレスは後になってあの人のために私は我慢したのにとなりがちなのだ。

といいますか、ほぼ100%、なる。数年ごしのこともあるから、気を付けなくてはならない。

相手が我慢しろとか言ってきたならまだ分かるけれどね。相手に嫌われたくないといった自分の体裁をつくろうため理性的を装った挙句、あの人のために私は感情を押し殺したー! きー! という謎超展開理論もあったりするんですよ奥さん。

けれどもさ、単純に、逆に、人に自分の気持ちを受け入れてもらうとありがとう☆彡ってなる。だから、相手の負担にならない程度の自分の感情は出していいの。ね、簡単でしょ!

Photo by Constantinos Panagopoulos on Unsplash

理性の世界がモノクロなら、感情の世界はカラフルだ。私にとって全てカラフルはうるさ過ぎるから、モノクロ7割くらいでちょうどいい。これは、どっちが大切かの話ではなく、両方あって良いということだし、何よりも重要なのは、自分にとって丁度いい塩梅を知っていること。

さらに、自分の塩梅と他人の塩梅は違うことも多々ある。また、学び中の人には何を言っても通じない(過去の私)から、丁寧に説明したり、自分の取説を分かりやすく作って渡すことも有効だろう。

とにもかくにも、他人と心地よく居るためには、自分がまず自分を知らなくちゃいけない。自分に分からないことは他人に説明のしようがない。

自分を知るというのは、なんとまあ泥くさい行為なのね。

理想はあるけどそれはさて置き、理想じゃない今の自分にもぐって取ってくる。見たくない自分を見ないでおくこともできるけれど、いつかやらなきゃいけなくなるし、スピ脳の私は今回出来なかったら次? 来世? でやることになる~って考えちゃうので、今全力でしょ! 以外の選択肢はない。

感情も理性も大事。それはまるでやっぱり占いに結び付けてしまうのだけど二極論の陰陽図とまた同じ構造なんだなぁと思うのであった。

感情が子どもとなって暴れたなら理性パパと理性ママが(私の中で)出てきて後始末をする。結構今はいい関係を築けていると思う。そうやって光と闇は混とんを生み出しながら新しい世界を作るためのしかけになっているんだなぁ。

 

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